すばらしき世界 主演:役所広司 映画評

映画「すばらしき世界」を初めてみた時
ボロボロに泣いてしまった。
コスモスの花言葉は「調和」「平和」「謙虚」
なんという皮肉か。この監督は鬼か。

泣いたのは、あまりにも父の姿に被ったからなのだろうと思う。

ヤクザや反社会組織のような団体に、死ぬ前の父は片足突っ込んでいた。もしかしたら両足突っ込んで抜けられなくなっていたかもしれない。親族に距離を取れと言われて致し方なく離れた私には詳しい事は分からなかったが悲報を聞いた時の私は悲しさよりも「父を捨てて結果的に見殺しにしてしまった」と感じていた。


44歳の若さで亡くなった父は、正義感は強いが感情的で、あの身体からどうして化け物みたいな力がでるのだろうと、不思議なほど喧嘩に強かった。
子どもの私はいつも、相手を殺してしまうのではないかとハラハラしていた。
武器を使う事を躊躇せず、映画の中のように手元にあるものは何でも武器にした。

その反動だろう、私は暴力が嫌いになり、人を殴ったり蹴ったり出来なくなった。
まるで映画でディレクター役を演じる仲野太賀のように、暴力に対して無抵抗で逃げるような男になっていた。

父の攻撃性は日増しに強くなり、私は彼を理解するために大学の法学部に入りながら
刑法・家族法・異常心理学を勉強というか・・・研究した。
だがそれを使う間もなく、父は突然に死んだ。
警察や親族の説明は、全く理解できなかったし、司法解剖も行政解剖もされてはいなかった。
自殺と処理されたのだろう。納得できなかったが若い私には受け入れるしかなかった。
あっけない幕切れだった。この映画のように。

映画の話に戻そう。

私たちの世界では「暴力は悪」と定められている。人を殺せば極刑となる。
だが誰かが攻撃を受けている時に、助けに入る為に割って入る事を
正当防衛・緊急避難という。
このハードルは世間が考えているほど甘くはなく、よほどの事がない限りは認められない。

主人公の暴力行為は第三者を助けようという正当な考えの元に行われるが
その暴力行為は明らかに過剰防衛の域に達しており、結果的に13年の懲役
過去の暴力団組合員時代も合わせると、ほとんどの生活を堀の中で暮らしてきたことになる。
もし、いま、私が13年前の時代から、一瞬で現代に来たらどう思うだろうか?
あまりの時代の変化に戸惑い、何もできずに苦しむだろう。
まさにそれを刑務所帰りの人たちは「皆、経験する事になる」のである。

よく「懲役〇年は軽い」という議論を見るが、そういう人達は刑務所という場所が
どれほどに狭く、自由を奪われ、社会を知る事も出来ずに生きているのかを知らないのだ。
だから長い懲役刑から解放されても、世間の流れを知らずに生きてきた彼らは
大人の身体に社会情報が入っていない「空の存在」のまま厳しい現実に放り出される。
その重さを理解していれば、懲役刑(自由を拘束され・役を課される)がどれほど厳しいか分かるはずだ。

暴力団組織の立場と変容はここ20年で凄まじく変化した。
父親が生きている頃は、みかじめ料(用心棒代)からが主な収入源であったが、暴力団新法がそれを奪い
主に「闇金」が大きな収入源に変わった。某日本最大の暴力団組織は、この闇金が大きな収入源となり巨大化した。
しかしこれもグレーゾーン金利・闇金に対する判例で取り締まりが厳しくなり
次にオレオレ詐欺が増加、ここで暴力団から半グレが離反した。
闇金は取立て部隊が必要だが、オレオレ詐欺は一般人を鉄砲玉のように使い、マニュアル作成で若いチンピラでも
稼ぐことが出来るようになった。このため、暴力団組織から離反、暴力団新法が通じず悪質・凶悪化した。

主人公が頼った兄貴分は、片足を失っていた。
それでも見栄を張って主人公をもてなしたが、彼が出掛けている間に警察の手入れがはいり
姐さんに諭されて、彼はその場を逃げた。

「空は広い」

これがどれほど大きな意味を持つのか、日常を生きる私達には理解が出来ないかもしれない。
私もそれを理解するには程遠い場所にいる。

彼が戻った日常で、仕事を手に入れる事が出来た。それは介護という過酷だが真面目な彼には気性にあった仕事だった。しかし同僚がよくなかった。彼の唯一の心許せる職員をいじめている姿を見た。
彼はそれを、必死で見過ごした。おそらく血が沸騰する思いだったのだろう。

いじめられていた職員の彼は、最後に何気なく「コスモスの花を持っていきませんか」と渡した。
彼の心境を語る事はよそう。その複雑な気持ちはとても文章で表現できるものではない。
渦巻く複雑な思いを胸に彼は雨の中で、洗濯物を取り入れ、唯一のタンクトップを残して亡くなった。
そのタンクトップは映画のポスターに出ている物なので、それを残した意味を
これを読んでいる人は考えてほしい。

最後にコスモスの花を握りしめて亡くなった彼は何を思ったのだろうか。
その花言葉は彼をどのように表したのだろうか。

最後に思う事は、この監督の過去作品「ゆれる」の時にも
感じた事だが「救いがない」という悲しい終わり方に違和感を感じる。
救いのない表現は閲覧した者の心を大きく傷つけ、えぐりとっていく。
この作品は本当にこれでよかったのだろうか?

私は父が死んだあと、事故の影響もあってか、少し性格が変わってしまった。
暴力の肯定・・・とまではいかないが、父があの時に暴力で物事を解決しようとしていた事を許してしまっている。
緊急事態の時、私たちは結局は身を守る為に、物理的な力が必要なのだ。
そう気が付いた時、身体を鍛えて「いざという時」の為に備えようと思った。

・・・時々、父と自分が重なって見える。

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